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名古屋高等裁判所 昭和26年(う)545号 判決 1951年5月26日

控訴人 被告人横井清一の原審弁護人 飯野豊治

検察官 柳沢七五三治関与

主文

本件控訴は之を棄却する。

理由

弁護人大野正直、同飯野豊治の控訴の趣意は末尾添付の控訴趣意書と題する書面記載の通りであつて之に対する当裁判所の判断は次の通りである。

昭和二十二年勅令第一号が所謂覚書該当者の政治上の活動を禁止した法意は是等の者の包懐する思想傾向がポツダム宣言の趣旨の実現に障害を与えるものとして、その活動及之によつて生ずる影響を封殺せんとするにあるものと解すべきであるから、所論の如く単純なる経済上の活動又は之に類する言動は同勅令違反の罪を構成しない事は論を俟たないが、記録によれば原判決理由(二)乃至(五)に認定した事実は結局被告人が覚書該当者であり乍ら右(二)乃至(五)に記載の如き言動に出で、以て政治上の活動を為したと謂ふにあり、原判決の挙示する証拠により優に右事実を肯認する事が出来る。論旨は縷々原判決が採用した証拠よりも排斥した証拠に証明力がある旨論述しているけれども証拠の証明力の価値判断は固より事実承審官の自由裁量に属する事であり記録を精査しても原判決が採証した証拠の証明力を経験法則に照して否定すべき資料はない。而して主食糧等の生産及供出に関する事項は食糧確保臨時措置法に基き、その生産及供出を確保する為、公正かつ計劃的に生産数量及供出数量の割当を行い食糧事情の安定を図る目的を以て、同法の規定に依拠し、農林大臣、都道府県知事、市町村長の所管事務として夫々所定の農業計劃を立案実施されるものであるから、とりも直さず国の重要なる食糧政策に外ならないのである。而して村長は所轄県知事の指示に従い諸種の事情を斟酌勘案した上当該村農業調整委員会の議決を経て、区域内に住所を有する生産者別農業計劃を定め之を実施し、以て食糧事情の安定に寄与すべき職責を有するものであつて、是等の事項は村政の重要な一部門を成すものと謂わざるを得ない、固より村長の農業計劃に不服ある生産者は法律上異議申立の手続が許されており、又法定の事由を具して、供出割当の変更を求める途も開かれておるのであるから、村長の農業計劃に不服のある生産者は此の手続を履践して村長の処分の是正を求め、或は之と同視すべき経済的活動を為す事は当然適法な行為として許容されるべきであるが、原判決認定の如く覚書該当者たる被告人が利害を共にする生産者数名と共に劣等田耕作者組合なる組合を結成し、その目的達成の為同認定の如き言動に出でた事は前敍の如き国の食糧政策の一環たる村政の重要な一部門としての農業計劃に容喙したものと謂ふべく、被告人の斯かる行為は明に同勅令第一号に所謂政治上の活動を為したものと認めざるを得ない。従つて原判決には所論の如き事実誤認の違法はなく本件控訴は理由がないから刑事訴訟法第三百九十六条に則り之を棄却する事とする。

仍て主文の通り判決する。

(裁判長判事 杉浦重次 判事 小林登一 判事 佐藤盛隆)

弁護人飯野豊治、大野正直の控訴趣意

原判決は事実誤認の違法があり、この事実誤認は判決に影響があるから破棄せらるべきである。昭和二十二年勅令第一号の制定の目的を考うるに、この勅令によりて覚書該当者の政治上の活動を禁止したのはこれ等の者が包懐する思想傾向がポツダム宣言の実現に障害を与へるものとしてその活動並に之に因つて生ずる影響を封殺するに外ならないから、覚書該当者と雖も、単に自己に対する供出割当の不当を理由としてその是正を求め又は他人の意思に追随して組合に加入する等自己の思想を他に発表せず、又は発表するも影響する虞のない行動に出る場合に於ては何等咎むべきものでない。故に覚書該当者である被告人が指導的立場に於て劣等田農耕組合を組織し又は他人に対する供出割当の不当を難詰して当局者に面接する等の行為に出た場合には素より政治上の話動と目すべきものであるが然らざる場合に於ては寧ろ之を否定すべきものである。

(1)  検察官に対する黒宮隆二の供述調書には被告人が中心となつて後東等六人が農耕組合を結成して届け出た(百四十二丁)との記載があるけれども同人の法庭に於ける証言を見ると検事の「劣等田農耕組合を結成するに付誰が中心となつて結成の運動をしたか」との間に対し答「知りません」(記録六四丁)と記載しありて信用しがたく、証人後藤孫八、同順一、服部正之、後東藤太郎の供述が何れも被告人の所為は他人に追随し単に組合の一員として受動的機械的に行動したに止まる旨の記載を信ずべきものである。被告人が常に覚書該当者として行を慎んで居たことは佐藤祐一、後藤清の証言でも明らかであつて被告人が中心となつたり指導的地位になつたとは到底考へられない。

(2)  他人に対する供出割当の不当を難詰して当局者に面接したことがあつたかを考へると服部東二の法廷に於ける供述に於ても劣等田農耕組合の交渉は孰れも強硬な交渉は一度もありませんでしたと記載しありて(記録八一丁)供出割当の不当を難詰した証拠は認めがたい。

(3)  被告人が中心となつて村当局へ交渉して居るのを事実とすれば常に他の組合員を指導して村当局へ面接を要求する筈であるがその証拠は見当らない。村長である服部東二は法廷に於て被告人の「劣等田農耕組合の件で証人と会つたことは一度もないかこの点はどうか」との問に対し「一回は投書の件であつた、又警察での風評の件であつたことがある」と答へて居り(記録八十一丁)「度々横井清一は劣等田組合のことで来たことがあるか」との問に対し「記憶がありません後藤孫八が来たことを知つて居ります」と証言するなど(七七丁)法廷に於ける助役黒宮隆二、村長服部東二の証言及び検察官に対する供述を精査しても被告人が常に他の組合員を指導して村当局へ面接を要求した事実を認めがたい。

(4)  被告人は帝国在郷軍人分会長であつたが名目だけのもので自分は名古屋へ働きに出て居り村の人との接触にも乏しかつたのであつて終戦後帰農して始めて百姓の仲間に入つたものである。従つて居村に於ける有力者であつたと即断するのは大いなる誤りである。(後藤源四郎、佐藤祐一、後藤清の証言)

(5)  昭和二十三年十一月二十七日林証寺に於ける農業調整委員候補者推薦の件も後藤源四郎等の法廷に於ける証言に明らかな如く決して本被告人が積極的に活動したものでなく寧ろ被告人が村民に強要せられ心ならずも事此処に至つたものである。

(6)  服部東二は昭和二十四年初め経済違反で警察官の取調を受け居り本件発生直後の三月には引責辞職し居りその端緒は被告人等劣等田組合員の投書の結果であると恨んで居た事がある点(後藤源四郎証言記録三一八丁以下)を考へる時「右組合員が村長服部東二に対し供出割当の是正を要求した際は被告人が発言したものである」として故意に被告人を陥れんとすることは大いにあり得ることであつてその供述は輙く信用すべからざるものがある。

(7)  以上の諸点を綜合考察すれば、証人後藤孫八、同順一、服部正之、後東藤太郎等の供述が排斥せられて黒宮隆二、服部東二の供述のみが特に採用せらるべき根拠は認めがたく寧ろ差戻し前の第一審の裁判官が親しく総べての証人に接しその証言の態度内容等を充分に比較し、周囲の事情、他の証拠に照らして下した常識上妥当と認め得られる判断こそ正当なものであつて差戻し後の第一審の裁判官は証拠の価値判断を誤り採るべき証拠を排斥した結果事実を誤認したものであつて当然政治上の活動にあらざるものを政治上の活動として処罰した違法がある。

(8)  組合結成の届出の如きも後藤孫八、後東藤太郎の証言によつても組合長の後藤孫八が単身役場に赴き助役黒宮隆二に書類を手渡した事実が認められ被告人が右届出に関与した事実に関する証拠としては証人服部東二の「組合全員が来たのだから横井も来たと思う」と云う不確実な証言以外に何もない。組合長の証言にも明らかな如く本件交渉の意見は組合役員たる五名の決議によるものであつて平組合員たる被告人は特に遠慮せしめられているから意思決定には関与していないから刑事責任は認めがたい。

(9)  第三の公訴事実に付てはこの通知書は組合長後藤孫八の子息順一が起案し服部正之が訂正加筆し組合長の依頼により達筆の被告人が之を浄書し組合長が自己の責任に於て発送したものであることは以上の各人の証言によつて明らかであり、被告人が文案作成とか、協議したとか云う事実の証拠は全然認められないから本被告人はその責任を負うべき筋合はない。

(10) 第四の公訴事実に付ては服部東二は検察官に対する供述に於て「三月六日頃には組合員全員が役場に来て組合を認める様に要求したこともある」(記録一五〇丁、一五一丁)と云つて居るがこれは措信しがたい。現に黒宮隆二は法廷に於て検察官の同様の問に対し(六八丁)「その様なことはなかつたと思いますがその点記憶はありません」と答へて居り服部東二自身も(七十八丁)同様の問に対し「記憶がありません」と答へて居り服部東二の他の証言と綜合考察すれば第四の公訴事実は全然在存しないものであつてこの点に於て原判決は重大なる事実誤認をしていると云わざるを得ない。

(11) 第五の公訴事実に付ても証人黒宮隆二は(六十八丁以下)その様なことは三月二十一日にその様なことを云つて来た、誰が来たかは記憶はないが三人来た、組合長の後藤孫八が居たかは記憶がない、横井清一は来て居なかつたと思う旨の証言をして居り、服部正之、後藤順一及び被告人の供述と符合して居るのであつて被告人は陳情団の一員として助役黒宮隆二に談判した事実は全くない。

(12) 右の次第で第二乃至第五の公訴事実は全部無罪であるべきものを有罪とした違法があるから破棄せらるべきものと信ずる。

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